トライベッカ映画祭でスコセッシとデニーロが語ったこと☆
この対談で二人は、スコセッシの映画界でのキャリアと1973年以来デ・ニーロが出演している9作品を含む一連のスコセッシ作品について縦横無尽に語った。そして、今年後半にNetflixで公開予定の新作『アイリッシュマン』の詳細を少しだけ明らかにする一方で、デニーロが出演した過去の作品にまつわるトリビアや秘話を数多くつまびらかにした。この対談で披露された逸話の共通点は、スコセッシのキャリアが大きく変わるほどのチャンスを引き受けさせようとデ・ニーロが何度も説得したということのようだ。それこそ、『ライジング・ブル』で実在のボクサー、ジェイク・ラモッタの実話を取り入れたことから、あるプロジェクトで新進気鋭の若手俳優レオナルド・ディカプリオを抜擢したことまで、彼らが披露してくれた逸話のうちの10の真実をここで紹介しよう。
2. 『ミーン・ストリート』でデ・ニーロが語ったとりとめもない話はその場で思いついたものだった
スコセッシとデ・ニーロは『ミーン・ストリート』のワンシーンを演じて、この対談の口火を切った。これは二人が初顔合わせした作品で、ここでのデ・ニーロは(ハーヴェイ・カイテル演じる)高利貸しのチャーリー叔父さんに返済を渋って長たらしい言い訳をするようなキャラクターだった(allcinemaによると、ハーヴェイ・カイテル演じたチャーリーはデ・ニーロ演じたジョニーの友人で、チャーリーの叔父が高利貸しという設定です。要チェック㊥)。本編の撮影を開始する前にデ・ニーロはこのシーンをスコセッシとリハーサルしたのだが、デ・ニーロは自分のキャラクターの人生をその場で思いつくままに語り、スコセッシはそれをすべてメモしたという。
3. テレンス・マリックが『沈黙〜サイレンス〜』に関する手紙をスコセッシに送っていた
4. スコセッシ(と映画会社の重役たち)は最初『レイジング・ブル』の製作を渋った
デ・ニーロは映画と同じタイトルのジェイク・ラモッタの回想録を読んだあと、この作品の映画化をスコセッシに何度もしつこく直訴した。しかし、スコセッシはスポーツのことを「全く知らない」と言い続けて、何年も曖昧な態度でデ・ニーロの説得をやり過ごした(スコセッシは子どもの頃に喘息を患っていた上に、ボクシングを非常に「つまらない」と思っていた)。しかし、ラモッタの回想録を読んでみて、スコセッシはラモッタの苦悩が普遍的なことを知った。ところが、映画化する価値があると映画スタジオの重役を説得するのは困難を極めた。
「我々はこのボクサーの映画を作るつもりはない。こいつはゴキブリ野郎だ」と、会議中に重役の一人が放った言葉をスコセッシが披露した。
デ・ニーロもその会議に出席しており、この発言にデ・ニーロは「違う、彼はそんな人間じゃない」と、スコセッシが「雄弁な言葉」と呼ぶ答えで返すと、間もなくスタジオ側から『レイジング・ブル』の撮影許可が降りたという。
5. 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』を観たアメリカ合衆国大統領顧問団の一人は、この映画に描かれている金融業界は嘘偽りと言った
顧問団の誰の発言なのかは明らかにしなかったが、株式ブローカーだったジョーダン・ベルフォートの栄光と転落を描いたスコセッシの2013年の作品をウォールストリートの「虚偽の描写」と呼んだ人がいた。しかし、スコセッシはベルフォートを普通のアメリカ人と捉えていたと述べて、ハーマン・メルヴィルの小説『詐欺師』を例に挙げて、チャンスと虚勢が常に野放しのまま放置されているアメリカ人の意識に深く刷り込まれた歴史を示した。
6. 『キング・オブ・コメディ』でのジェリー・ルイスとの作業を通してスコセッシはプロの俳優と仕事をする術を学んだ
1982年の『キング・オブ・コメディ』以前のスコセッシは、比較的低予算で同じグループの人たち(デ・ニーロも含む)と一緒に仕事をしてきたため、自分の作品に対して自家栽培的な意識を持っていた。それこそ、自分の両親すらちょい役で出したこともあるほどだ。
トークショーの有名MCのジェリー・ラグフォード役にジェリー・ルイスを配役したことによって、スコセッシはプロの役者との映画づくりの何たるかに突然気付いたという。ルイスは自分のシーンを撮影するときしか現場に来ないし、自分のセリフを読み、きっちり仕事をこなし、撮影日にそれ以上仕事がなければ早々に帰宅させることをスコセッシに求めた。つまり、役者の時間を全部使えると監督が思い込むのは間違っていることをルイスが教えてくれたと、スコセッシが述べた。
7. 『カジノ』はスコセッシ版『失楽園』(旧約聖書『創世記』第3章)
スコセッシとデ・ニーロは1995年の『カジノ』のワンシーンを紹介した。このシーンでは、砂漠のど真ん中でジョー・ペシがデ・ニーロ演じるキャラクターに向かって罵り言葉満載で口撃する。このときのペシのセリフは「まるでジャズ」を聞いているようだったとスコセッシが言い、「自分なりの『失楽園』の解釈が『カジノ』だと思っていると続けた。「神は彼らに罪の楽園を与えた。そう、ラスベガスだ。彼らにはできないことなどないのに、ことごとく失敗する。そして、最後に楽園から追放されるんだ」と。
8. 激辛口で有名なライター、ノーマン・メイラーは『ライジング・ブル』を気に入った――ファイトシーン以外は
激烈と呼ばれる辛口批評で有名だったノーマン・メイラーも当初『ライジング・ブル』の応援団長で、スコセッシにこの回想録の映画化を強く勧めた一人だった。面白いことに、公開後に暴力的なボクシング・シーンがかなりの論争を巻き起こしたにもかかわらず、メイラーはファイトシーンを「つまならい」と言っていた。
「あなたのおかげでファイトシーンを入れられた」と、『ライジング・ブル』公開から2年後くらいにスコセッシはメイラーに伝えた。そうしたらメイラーは「うん、私はあれだけが気に入らなかった」と答えたという。
9. グラハム・グリーンとジェイムズ・ジョイスの本を教えてくれたのは一人の神父
スコセッシは、自分が育った1940年代後期から1950年代初頭のマンハッタンのローワーイーストサイドについて、さまざまデ・ニーロに話して聞かせ、そこで体験した荒々しく崩壊する世界が自分の作品に大きく影響を与えていると述べた。彼の話によく出てくるエリザベス通り253番地にあった共同住宅の3階で育ったことを引き合いに出して、スコセッシ作品に繰り返し登場するシーンでもある、非常階段から「神の目線」で下を見ていた自身の子ども時代を語った。
しかし、そこの教区の神父だったプリンシペ神父が、現実逃避の手段として子供のスコセッシに古い小説をたくさん教えてくれたという。「神父様は『ここから離れなさい。ここにもいい人はいるが、ここでの暮らし、21歳で結婚して子供を作るという人生サイクルに従う必要はないのです。チャンスを掴んで、現世で手に入れられる利点を活かしなさい』と言っていた」とスコセッシが説明した。
10. 新作『アイリッシュマン』についてはそれほど語らなかったが、この作品の延長線上に次回作品が作られることだけ教えてくれた
by leonardo_D | 2019-05-04 17:35 | ランキング&アワード